ブログでプリンスのことを書くようになって以来、辞書を引く機会が増えました。英語の辞書はもちろんのこと、プリンスの歌詞や自分の考えを日本語にするにあたって、よりしっくり来る言葉を見つけるために、類語辞典や国語辞典は私にとって必需品となっています。

現在、ネットで無料で利用できる国語辞典は、主に次の3つです。特に頻繁に利用されているのは「大辞林」と「大辞泉」だと思います。

  • 三省堂 大辞林 (約26.5万語) / weblio 辞書
  • 小学館 デジタル大辞泉 (約30万語) / goo 辞書
  • 岩波書店 岩波国語辞典 (約6.5万語) / Google でキーワードに「定義」や「意味」を添えて検索

私は最初これらの無料辞書をありがたく使っていました。しかし、思ったような意味が引けず、すっきりしない気分になることが度々起こるのに気付きました。以前は国語辞典を参照すれば言葉の正確な定義を知ることができると思っていたのですが、必ずしもそうではなく、国語辞典での定義が不十分な言葉は意外と多いことが分かってきました。

一例を挙げます。前回の記事、Vanity 6 の「3 x 2 = 6」では、ヴァニティに対して「悪女」という言葉を使いました。そこで、「悪女」を様々な辞書で引き比べてみることにします。

また、辞書を引き比べるにあたって、ネットの無料辞書に加えて以下も参照します。「広辞苑」は前に持っていたスマホに入っていたのでそれを参照しました。「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」は、現在私が主に使用している辞書です。私はスマホ版を購入済です。

  • 岩波書店 広辞苑 (約25万語)
  • 三省堂国語辞典 (約8万語)
  • 三省堂 新明解国語辞典 (約8万語)

あくじょ [悪女]

三省堂 大辞林

  1. 性質のよくない女。
  2. 容貌の醜い女。

小学館 デジタル大辞泉

  1. 性質・気だてのよくない女。
  2. 器量の悪い女。醜い女。

岩波国語辞典

  1. 心のよくない女。毒婦。
  2. みにくい女。醜女。

岩波書店 広辞苑

  1. 性質のよくない女。
  2. 顔かたちの醜い女。醜婦。

個人的にはとても意外な結果です。これらの辞書には「悪女 = ヴァニティ」という私の欲しい定義は載っていません。

三省堂国語辞典

  1. 男をもてあそぶ悪い女。小悪魔。
  2. よこしまで自分勝手な女
  3. 顔のみにくい女。醜女。

やっと出会えました。これが私の望んでいた定義そのものです。それにしても、この意味での「悪女」がここまで辞書に載っていないものだとは思いませんでした。そういえば、かつてこんな歌を歌った女の子グループがいました。

悪女という字を 辞書で引いたぞ
ヴァニティの名前 そこに足しておいたぞ

三省堂 新明解国語辞典

  1. 醜女。
  2. 男を色気で迷わしかねない女。[反語的に、親しみやすい女性を指すこともある]

意味が少し弱くて悪さが足りない気がしますが、これも許容範囲だと思います。


もうひとつ例を挙げます。昨年の日大アメフト部の悪質な反則タックル事件で、日大の広報部は「厳しいご批判は甘んじてお受けいたします」との声明を出しました。この文脈での「甘んじて」の使い方はネットの無料辞書では適切に定義されていないためか、「日大は何様のつもりか」「日大は日本語も知らないのか」と軽く炎上しました。事件全体のインパクトからすれば些細な炎上でしたが。

ネットで「甘んじて 日大」と検索すると、この声明に憤慨し、日大広報を馬鹿にする反応が沢山見つかります。「日大上層部って常識知らずの馬鹿ばっかり? 高卒の私にだって言葉の使い方くらいわかる」・・・何とも言えない気分になりますが、後述するように、これは誤解する人が悪いのではなく、「大辞林」と「大辞泉」の問題なのだと思います。

nichidai-tackle-amanjite

ここでの「甘んじて」は、例えば「イエス・キリストは甘んじて十字架にかけられた」のように、「不平を言わずに謙虚に受け入れる」といった意味で使われています。しかし、「大辞林」や「大辞泉」などではそのような含みを持たせない定義がされているため、「不本意だが、しょうがないので我慢する」という不遜な態度を示すときのみに使われる言葉であるかのような印象を与えかねません。

あまんじる [甘んじる] / あまんずる [甘んずる]

三省堂 大辞林

  1. 与えられたものが不十分であっても、それを受け入れる。甘んじる。 「薄給に-・ずる」 「寧ろ自分は平凡なる生活に-・ずる/田舎教師 花袋」

小学館 デジタル大辞泉

  1. 与えられたものをそのまま受け入れる。しかたがないと思ってがまんする。「清貧に―・ずる」「―・じて罰を受け入れる」
  2. 満足する。たのしむ。「一たびは坐してまのあたり奇景を―・ず」〈奥の細道〉

岩波国語辞典

  1. 与えられたもので十分だと思う。満足する。「薄給に―」。与えられたものを、しかたがないと思って受ける。 「―・じて罰せられる」

岩波書店 広辞苑

  1. よい味だとする。満足に思う。奥の細道「坐してまのあたり奇景を―・ず」
  2. 与えられたものをしかたないと思って受ける。「薄給に―・ずる」「―・じて犠牲となる」

三省堂国語辞典

  1. (不平を言わないで / おとなしく) その状態を受け入れる。あまんずる。「低い待遇に─」

三省堂 新明解国語辞典

  1. 与えられたもの (程度・環境) 以上に多くを望まず おとなしく受け入れる。甘んずる。「現状 (批判) に─ [= 我慢する] / 屈辱を甘んじて受ける」

「批判を甘んじて受ける」の適切な解釈が可能なのは「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」あたりでしょうか。

「どの辞書も大差ない」は間違い

以下の興味深いページを紹介します。「三省堂国語辞典」の編集委員でもある飯間浩明氏のインタビューです。

そもそも、辞書については、一般に強い誤解がありましてね。

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「いや、それは違います、辞書ごとに違った個性があるんですよ」と言うと、驚いた顔をされます。

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現在、みなさんがもっとも頻繁にお使いになっている国語辞典は2種類あるはずです。つまり、インターネットで無料で使える国語辞典が2種類だということです。
1つは『大辞林』、もう1つは『大辞泉』です。

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そうしますと、「辞書といえば、『大辞林』か『大辞泉』なんだな。この2冊に書いてあることがすべてなんだ」と今は思われています。

先の「甘んじて」の例をみるに、飯間氏の指摘されていることがまさに現実に起きているのだと実感します。「大辞林」や「大辞泉」は世の中で最も頻繁に参照されている国語辞典ですが、言葉を上手く定義しきれていないケースがかなりあるように感じます。

「花」という言葉がありますね。これを先ほどの『大辞林』で引いてみるとどうなっているか。実際に引いてみましょうか。

まず第1に、「種子植物の生殖器官」と書いてありますね。「一定の時期に枝や茎の先端などに形成され,受精して実を結ぶ機能を有するもの。有性生殖を行うために葉と茎が分化したもので……人によっては、このあたりでちょっと眠くなってきて「もういいや」という感じになるはずです(笑)。

これは、もちろん学問的には正しいのです。でも、「日本語における花とはなにか?」と質問された時に、「種子植物の生殖器官である」と言うと、なんか違うような気がするんですね。

例えば花の歌……「花摘む野辺に 日は落ちて」(注:『誰か故郷を想わざる』の一節)なんていう場合に、「その花というのは、種子植物の生殖器官だよ」だと、どうも感じが出ないわけですね。

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古典の文学、例えば『源氏物語』で「花をめでつつおはするほどに」なんていう文を読んだ時に、「この平安時代の人は、種子植物の生殖器官として見ていたのかな?」と、どうも変な気がするわけですね。

では『三省堂国語辞典』はどうかというと、これはぐっと非科学的なことを書いています。「花……植物で、いちばん目立ってきれいな部分」

この「花」の話は素晴らしいな、と思いました。私はこれを読んで、「三省堂国語辞典」をメインで使用するようになりました。