● 「オレ、猿が大人になったら人間になるもんだと思ってたよ」

昔々、私がまだ小さな子供だった頃、学校の帰り道に一緒にいた友達がボソッと呟きました。

「ヒトはサルから進化した」という話は、皆小さい頃から教わって知っていますが、子供の頭でこれを正しくイメージするのは難しいものです。「そんなわけないじゃん!」と思った私も、「動物園で見るチンパンジーやゴリラもこのまま後世に渡って延々と子孫を残していけば、遠い未来には進化して人間になるんだろうなあ」なんて子供心に思ったものです。

でも、そんなわけないですよね。チンパンジーやゴリラはヒトには進化しません。

チンパンジーもゴリラも、そして私達人間も、はるか昔に遡れば共通の祖先を持っています。しかし、進化の過程で分岐し、それぞれ別の種として道を歩んできました。原始的なサルから枝分れしてチンパンジーに進化したけれども、やっぱりやめてヒトに進化しようだなんて、そんな都合の良い軌道修正はできません。

                   ----- ゴリラ
                /
サルの祖先 ----------------- チンパンジー
                       \
                          ------- ヒト


ものすごく唐突に話が変わりますが、スクワット、ベンチプレス、そしてデッドリフトといえば、言わずもがなパワーリフティングの3種目です。バーベルのある環境で真剣にトレーニングしたことがあれば、やったことがない人はいないであろうといえる、バーベル種目の代表ともいえる種目です。

ところが、一般のジムでは、パワーリフティングで通用するようなフォームに従ってトレーニングをしている人を見る機会は驚くほど少ないものです。殆どのトレーニーは、動作域を制限するなどして、パワーリフティングのフォームよりも高重量を扱えるやり方でこれらの種目を行っています。しかし、もしパワーリフティングで通用するフォームで自分の実力を試したいと思った場合、本来ならば挙上できない高重量を使ってパーシャルレンジでスクワットやベンチプレスやデッドリフトのトレーニングをすることに、どんな意味があるのでしょうか?

● スクワット

私は、スクワットで最も重要な動作は、ボトムからの切り返しだと思っています。スクワットが強くなりたいのであれば、ボトムから切り返すところを強化するのが何よりも重要なことだと考えています。

ところが、一般のジムでよく見るのは、バーベルにプレートを足すにつれてしゃがみが浅くなるスクワットです。しゃがみを浅くすることで高重量を扱うことを可能にしていますが、これでは最も重要なボトムの切り返しをスキップしてトレーニングすることになってしまいます。浅いスクワットでは、ボトムの切り返しを強化することができず、パワーリフティングのためには不適切なトレーニングになってしまいます。

私は進化論への造詣が深くないため綺麗な図は描けないのですが、スクワットの進化系統を単純化したツリーで示すと次のようになると思います。

生命の誕生 ------------- ジムでよく見る浅いスクワット
                 \
                    ---- パワーリフティングのスクワット


ジムでよく見る浅いスクワットとパワーリフティングのスクワットは、この図のように別の系統を辿って進化した種目だと私は考えています。浅いスクワットばかりやっていてもパワーリフティングのスクワットの強化には繋がりません。

しかし、「ボトムで切り返した後、フィニッシュまで持っていく途中で潰れてしまうのを防ぐために、高重量で行うパーシャルレンジのスクワットは有効なんだ」と主張したくなるかもしれません。でも浅いスクワットでは、パワーリフティングのスクワットでは到底扱えない重量を楽々と挙上できますよね?何故、いざパワーリフティングのスクワットになるとボトムで切り返した後、同じレンジに差し掛かったときに、楽々扱えるはずの重量で潰れてしまうことがあるのですか?

それは、浅いスクワットはパワーリフティングのスクワットとは異なるメカニズムで挙上しているからです。浅いスクワットは浅いスクワットを挙げるのに特化して別系統に進化したエクササイズです。たとえそれで高重量を挙げられたとしても、パワーリフティングのスクワットへのキャリーオーバーは殆ど期待できません。

●  ベンチプレス

ジムでよく見るのは、より高重量を扱うために腰を浮かしてベンチプレスを行っているパターンですが、これが反則なのは誰でも知っていると思うので、別の補助種目を例に挙げます。

海外のリソースにあたってベンチプレスを調べていると、よく目にする補助種目にボードプレスというのがあります。胸の上にボードを置いて、動作域を制限するベンチプレスです。日本のジムでもベンチプレッサー的な人が行っているのをまれに見ることがあります。ボードを使わなくても、セーフティーバー等を使用しても似たようなことができます。

このようなボードプレスなどの種目は、プレスの中盤以降や、終盤の押し切ってロックアウトする部分を強化することが主な目的です。ベンチプレスのスティッキングポイントがプレスの後半から終盤にあったとすると、ボード等を使用して動作域をそこに合わせ、弱点強化に特化したトレーニング行う、というのは一見理に適っているように思えます。そう、一見は。

しかし考えてみてください。ボードプレス等では、普通のベンチプレスよりも高重量を挙げることができてしまいます。例えば、普通のベンチプレスである重量でロックアウトで失敗しても、ボードを使うとたったそれだけで最後まで挙げ切ることができてしまいます。つまり、どこも強化することなく、ボードを置くだけで弱点部分を通過することができるようになるのです。しかし、ボードを取り払ってフルレンジに戻すと、やっぱり押し切れずに失敗してしまいます。これって、本当にロックアウトが弱点といえるのでしょうか?

パーシャルレンジにしたら挙げ切ることができて、フルレンジにすると潰れるということは、単純な引き算の問題です。本当の弱点はパーシャルレンジではカバーされていない部分ということになります。そう、本当の弱点が潜んでいるのは、ロックアウトの部分ではなく、ボードで動作域から除外されたボトムの部分ということになります。

よくよく調べてみると、ボードプレスはギアを使用して大会に出るような人達の間で推奨されていることが多いです。ギアを使用する人にとってはどうやら使いどころのある補助種目なようなのですが、ギアを使用しない人にとっては本当に重要な部分がスキップされた、別系統に進化した種目といえるのではないかと思います。

生命の誕生 ------------- ボードプレス等のパーシャルレンジのベンチ
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                    ---- パワーリフティングのノーギアベンチプレス

● デッドリフト


デッドリフトのバリエーションとして、膝上で行うラックプルというのがあります。ラックのセーフティバーを調節して膝上からスタートするパーシャルレンジのデッドリフトで、日本語で検索するとよくトップサイドデッドリフトという名前で呼ばれている種目です(ちなみに英語ではこのような呼び方はしません)。

このラックプルというエクササイズなのですが、デッドリフトの補助種目に挙げられることがあります。目的は、デッドリフトのロックアウト強化です(もうひとつちなみに、日本ではデッドリフトの後半動作はまるでウエイトリフティングのクリーンのようにしばしばセカンドプルと呼ばれますが、パワーリフティングのデッドリフトでこの言葉を使うのには違和感を覚えるので、ここではセカンドプルという言葉は使わないことにします)。ラックプルの動作は、確かに一見すると、デッドリフトでロックアウトまで持って行けずに試技が失敗してしまうのを防ぐのに有効なように思えます。何しろ動作域をその部分に絞ってトレーニングを行うわけですから、ロックアウトの強化に有効なのは自明なように思えます。

しかし、ここでもまた考えてみてください。現実には、床から引いたらロックアウトできずに失敗してしまう重量であっても、膝上のラックプルならば余裕でフィニッシュできてしまいます。もしも膝上デッドリフトが通常のデッドリフトの後半を模したものなのであれば、こんなことは起こりえないはずです。

こんなことが可能なのは、膝上のラックプルが膝下から引くデッドリフトの後半動作とは異なるメカニズムで挙上するエクササイズだからです。膝上のラックプルは一見すると通常のデッドリフトの後半動作に似ており、同じ種に属するように思えますが、実際は分岐して別系統に進化した種目です。デッドリフトの弱点が握力だというのならば、ラックプルは補助種目として一定の価値はあるかもしれませんが、そうでない場合、ラックプルを強化しても普通のデッドリフトへのキャリーオーバーは殆ど見込めません。

生命の誕生 ------------- 膝上のラックプル(トップサイドデッドリフト)
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                    ---- パワーリフティングのデッドリフト

● 最後に


スクワットやベンチプレスやデッドリフトの補助種目というものは、メイン種目の挙上における部分的な構成要素に焦点を当てて強化を図るものです。例えばベンチプレスなら大胸筋を強化する、というように。補助種目を適切に行うことによって、メイン種目に沿った道筋で歩を進め、さらなる進化を図ることができます。

しかし、「大元の種目であるスクワットやベンチプレスやデッドリフトよりも高重量を扱えてしまうことができる補助種目」というのは、単純に考えて何か矛盾しています。その補助種目は別系統に分岐して進化したものかもしれません。進化で枝分かれになってしまったエクササイズを頑張っても、それは進化の別な方向に突っ走っているだけです。チンパンジーが進化しても人間にはならないように、元の種目へのキャリーオーバーは期待できません。