私は1991年のアルバム「Diamonds And Pearls」からプリンスを聴き始めました。当時中学生だった私は、このアルバムを何度も何度も聴きました。しかし、私が即座に諸手を挙げてプリンスを受け入れたかというと、話はそう単純にはいきませんでした。私は「Diamonds And Pearls」を聴いて、拒絶感・断絶感ともいうべき複雑な思いを抱き、困惑しながらプリンスに惹き付けられていきました。

ここでいう拒絶感・断絶感というのはいくつかの意味を含んでいて、詳しくはこの記事の本題ではないのでまた別の機会に書きたいと思っているのですが、私がこのように感じたひとつの要素として、「これまで私が全く出会ったことのない類の、圧倒的な才能」がありました。

世の中には優れた演奏家がいます。そして素晴らしい音楽があります。それは人々を感嘆させ、感動させるものです。それは人々に伝わるように大事に扱われ、聴き手にしっかりと価値を訴えかけます。しかし、プリンスの音楽は、そういった「素晴らしい音楽」とは一線を画していました。プリンスの音楽には、私を感嘆させ、感動させるはずのものが、至るところに散乱していました。まるでそれが造作もないものであり、大事に扱う必要がないものであるかのように。私は困惑しました。そして、およそ音楽から感じるはずはない類の畏怖を覚えました。

「プリンスは、およそ人間には到達できないはずの領域で音楽を作っている」

私はプリンスの音楽に感動するよりも先に、まず突き放された気分になりました。プリンスのアルバムには多かれ少なかれこのような部分はあるものですが、「Diamonds And Pearls」を聴くと、今もどこか突き放された気分になります。

プリンスは完璧主義者ではありませんでした。ではプリンスは何者だったかというと・・・

プリンスは音楽家として誰にも真似することのできない特徴を持っており、そして、それはプリンスの音楽の作られ方にも影響していました。この点について、2016年12月に行われた Red Bull Music Academy のレクチャーにて、スーザン・ロジャースが鋭い言及をしているので紹介します。

機材のセットアップやメンテナンスをするオーディオテクニシャンとしてプリンスに雇用されたはずのスーザンが、レコーディングエンジニアとなった経緯の話もとても面白く、また話の核心部分への導入にもなっているので、そこから紹介します。動画では38分55秒頃からです。

トーステン・シュミット (インタビュアー): ミネアポリスに来る以前、あなたにはどれくらいレコーディングセッションの経験があったのですか?

スーザン・ロジャース: 当時の私はごく僅かにアシスタントエンジニアをやったことがある程度で、レコーディングには携わったことが殆どありませんでした。プリンスは私をレコーディングエンジニアではなくオーディオテクニシャンとして雇ったのです。プリンスはオーディオテクニシャンのプロを欲して、地元ではなく業界の人間を求め、マネジメントにニューヨークやLAの人間を探すように命じました。そして当時、私はハリウッドのスタジオで Crosby や Stills、Nash のテクニシャンとして働いており、私には業界で5年の経験がありました。

私は業界の噂話でプリンスがオーディオテクニシャンを探していることを耳にし、行動を起こしました。なぜなら私はプリンスが女性と仕事をするのが好きなのを知っていましたし、彼は私の一番のお気に入りのアーティストでしたから。私はその仕事に就くことを切望し、また、相応の経験と能力を持っていました。それで彼のマネジメントと面接をして、オーディオテクニシャンとして職を得たんです。なので私はレコーディングセッションに携わったことは殆どありませんでした。

私の最初の仕事は、古いコンソールを外して新しいものに取り替えることでした。私はテープマシンを修理し、アウトボードギアを修理しました。私の基本的な役目は、Purple Rain のアルバムレコーディングに滞りが生じないように、スタジオを異常のない状態に保つことでした。

そんな折に、プリンスは私にエンジニアの役割も与えてくれたのです。彼は数多くの人間と働くことを好みませんでしたから。機材がどのように動作するかを知っているのなら、それを操る術も分かるだろう、というのがプリンスの考え方でした。まさに私の夢が叶ったんです。

トーステン: 「ああ、これが私たちがやっていることだ」と実感する瞬間はありましたか?

スーザン: もちろんです。初めてのことも今でも覚えています。私がやっと全てのセットアップを終えると、プリンスは私にボーカルマイクの設置を指示しました。そのマイクは、当時はそこまでレアではありませんでしたが、今では非常にレアな Neumann U47 Tube でした。現在では大変高額な、とても素晴らしいマイクです。

私はプリンスの指示に従い、そのマイクをブームスタンドからコンソールの上にぶら下がるように立てたのです。

私は心配でなりませんでした。 「ああどうしよう、今にもエンジニアがやって来る。私は見つかって非常にマズいことになるわ。プリンスにこうするように言われたんだって言い訳をしなくちゃ。これは私のせいじゃないんだって」 そして私はマイクにサウンドを通しました。 「ああどうしよう、これで私はクビだわ。エンジニアに言いつけられてしまう」

やがてプリンスがやって来ました。そして遂に私は聞きました。
「誰がレコーディングをするんですか」
「君だよ」
「オッケー、了解よチーフ。さあ始めましょう」

こうして私はエンジニアになりました。しばらく後になってハッと思ったのは、プリンスは私が本職のエンジニアではないのを知らなかったのではないか、ということでした。しかし、さらに後で気付いたのは、プリンスはそれはちゃんと知っていて、その上で、それはプリンスにとってはどうでも良いことだった、ということでした。

トーステン: そのようなオーソドックスではないセットアップやレコーディングの進め方は、彼の音楽が持つ芸術性をレコードの形にする上で重要なことだったのでしょうか?

スーザン: それはとても重要な質問ですね。私には、プリンスに関して人からよく受ける質問があります。あるいは、質問の前提としてよく「プリンスは完璧主義者として知られていましたが」と言われることがあります。私はその度に訂正しなくてはならないんです。プリンスは完璧主義者ではありませんでした。もし彼が完璧主義者だったとしたら、あれほどのアウトプットはなし得なかったでしょう。

ではプリンスが何者であったかというと、プリンスは非常に卓越した演奏家であり、メロディーの天才であり、リズムの天才であり、ソングライティングの天才でした。音楽はプリンスからとめどなく溢れ出るものでした。プリンスは完璧を待つことなどできなかったのです。重要なことは、アイデアからサウンドではなく、サウンドからアイデアを紡ぎ出すことでした。


スーザンは、従来よく言われていた「プリンス=完璧主義者」というイメージの誤りを分かりやすく説明してくれています。確かにプリンスは完璧主義者ではありませんでした。しかし、それはプリンスの音楽が完璧の域に達していなかったことは意味しません。それどころか、プリンスは「完璧」を凌駕した唯一無二のアーティストだった、と言えるのではないかと思います。

プリンスは、わずか1日のセッションで曲を完成させ、数時間の睡眠を取り、また次の日には別の曲を完成させ・・・といった具合でどんどん作品を積み上げていきました。しかも完璧主義とは対極の仕事の進め方をしながらも、レコーディングの度に「これは彼の最高傑作だわ!」とスーザンに思わせるほどの楽曲クオリティを保ってのことです。これはプリンスを深く知っていくと、きっと誰もが驚愕し畏怖することだと思います。

プリンスの異常なペースの創作活動については、別の記事でスーザンは次のように火山になぞらえています。

プリンスのアイデアはあまりにも凄まじい速さで湧き出てきました。火山から溶岩が溢れ出るところを想像すると良いでしょう。そして私たちは流れ出る溶岩の下にナベやフライパンを置いてなんとかそれを収穫するのでした。プリンスはそれほど凄まじい速さで仕事をしたのです。

上の引用は、「Around The World In A Day」のレコーディングの大部分を真っ当なスタジオではなくリハーサルスペースとして使っていた倉庫で行い、音質を犠牲にしてでもレコーディングを進めなければならなかったことについての言及です。「Purple Rain」という世界的な大ヒットの傍らで、その次の作品がスタジオではなく倉庫でレコーディングされていたなんて、とても面白いことだと思います。

ちなみに、上にリンクした記事は、最近の次のブログ記事でも取り上げています。

また、動画のレクチャーは、一年ほど前のブログ記事でも取り上げています。