プリンスは多作家であるとともに、多種多様な音楽を作り続けたアーティストです。もしファン投票をして、各々がプリンスで好きな曲をひとつだけ選ぶとしたら、票は相当分散するはずです。 しかし、条件を変えて、プリンスの曲を満場一致となるようにひとつだけ選ぶとしたら、選択肢は自然と消えて、あるひとつの曲が残ります。それがこの「Purple Rain」という曲です。

「Purple Rain」は、プリンスに魅せられた人にとっては特別な思いを寄せる曲であり、その気持ちは単に曲が好きとか好きではないという感情を越えたものです。同時に、それにもかかわらず、普通の人にとってはこれほど分かりづらい曲もないように思います。

なぜ「Purple Rain」が特別な曲なのか、うまく纏める自信はありませんが、あまり話が発散しすぎないように気を付けつつ、個人的に思うことを書きます。


「Purple Rain」という曲は、このアルバム全体にも言えることですが、ちょっと古いアメリカの音楽、といった感じがします。これは、プリンスが生まれ育ち、この曲の舞台となったミネアポリスという街が関係しています。

ミネアポリスは白人の比率が極端に高い街です。当時、この都市圏は「バニラマーケット」とも呼ばれ、地域の主要ラジオ局では、黒人の音楽は存在が無視され一切流れることがないという、極端に偏った状況が続いていました。 例えば、「Funkytown」という1980年に全米シングルチャートで1位になった曲があります。 日本でも TV CM 等で現在に至るまで度々使われているので、たぶん誰でも聴いたことがある曲です。 これは Lipps Inc. というミネアポリスで活動していた音楽ユニットの曲ですが、黒人要素が入った音楽であるため、当時、地元の主要ラジオ局でこの曲が流れることは一切なかったそうです。

そのような環境で生まれ育ったプリンスは、人種や社会の様々な壁を越えようという思いを持っていました。例えば、1981年、まだプリンスの主なファン層が黒人に限られていた時代に発表された「Controversy」には、次のストレートな歌詞があります。

I wish there was no black and white, I wish there were no rules
黒も白も、ルールもなければいいのに

また、これに関連して個人的に思い浮かべる曲に、90年代に書かれた「What's My Name?」があります。レコード会社との対立が背景にあり、それが強く反映したネガティブなトーンであるうえに、比喩的で解釈もひとつにはならないのですが、この曲には次の歌詞があります。

U never would have drank my coffee if I had never served U cream
もしクリームを付けなかったら、君は僕のコーヒーを決して飲もうとしなかっただろう

この歌詞の意図するところではないのかもしれませんが、「Controversy」がキツいブラックコーヒーならば、「Purple Rain」はプリンスが自分のメッセージを人々により深く届けるために作ってくれた、クリーム入りのコーヒーなのかもしれない、と思うことがあります。

プリンスは、黒人とも白人とも付かない音楽を作りながら、そのどちらからも支持を受けるという、稀有な偉業を成し遂げたアーティストです。 しかし、もしプリンスが「Purple Rain」を作っていなかったら、同じことは実現しなかったかもしれません。 「Purple Rain」で大成功を収めながら、あっさりとその路線を捨てて作られた唯一無二の楽曲群も、ひょっとしたらこの曲がなければ同じものにはならなかったかもしれません。 「Purple Rain」とは、そのような特別な曲なのだと思います。


曲の構成としては、「Purple Rain」には日本のポップミュージックのように盛り上がるサビがあるわけではありません。なので、それを期待して聴くと「あれっ」となります。この曲はそうではなく、イントロ、歌、歌が終わってからのアドリブのギターソロ、そしてそれに続く有名なギターリフと「Whoo-Hoo-Hoo-Hoo」、全てが揃って「Purple Rain」です。特にギターソロ以降を省略してしまうと大事なところが欠けた感じになります。

歌詞に目を向けると、これまた何を意味しているのかよく分からないと思います。恋の歌のようにも思えますが、それにしては違和感があります。実は、この曲の歌詞は、映画のストーリーを知らないと分からないようになっています。

映画のストーリー上では、「Purple Rain」の原型は、バンドメンバーのウェンディとリサが作ったことになっています。ちなみにそれは「Purple Rain」の伴奏を少しメロディアスにしたような愛らしい感じのするデモ曲です。 しかし、プリンス演じるキッドは、そんなものは自分の作る音楽には到底及ばないとして、決して採用することはありませんでした。 そのような自己中心的な性格もあって、キッドは段々とライブハウスでの立場が危うくなっていきます。 そしてついに、ライブハウスのオーナーは、これ以上客に受けないライブを続けるならば解雇するとキッドに宣告します。

キッドは、母に暴力をふるう父とは決して折り合いは良くありませんでしたが、そんな折、その父は自分を追い詰めて自殺を計ります (キッドは直ぐに救急に連絡し、その後意識が戻っている描写はありませんが一命は取り留めます)。

キッドは葛藤の末、勇気を出して自分の過ちを認めます。無視し続けていたウェンディとリサのテープを何度も何度も巻き戻しながら聴いて、曲を作ります。 「Purple Rain」とはそのようにして、傷付きやすい青年が、エゴを捨てて、自分の過ちを認め、他人を受け入れて出来上がった曲です。

そして次のライブがやってきます。

ステージに立ち、マイクに向かったキッドは、これから演奏する曲は父へ捧げるもので、バンドメンバーのウェンディとリサが書いた曲だと紹介します。ウェンディとリサは驚いた表情で顔を見合せながらも演奏を始めます。

「Purple Rain」の歌詞は、1番は父、2番は恋人、3番はバンドと対象が移り変わりながら進んでいきます。

I never meant 2 cause U any sorrow
I never meant 2 cause U any pain
I only wanted one time 2 see U laughing
I only wanted 2 see U laughing in the purple rain
決して貴方を悲しませるつもりはなかった
決して貴方を苦しませるつもりはなかった
ただ貴方が笑っているのが見たかった
ただ紫の雨の中で貴方が笑っているのが見たかった

I never wanted 2 be your weekend lover
I only wanted 2 be some kind of friend
Baby, I could never steal U from another
It's such a shame our friendship had 2 end
週末だけの恋人にはなりたくなかった
ただ君と友達のような関係になりたかった
他の人から君を盗ることなどできなかった
僕達の友情が終わってしまったのは悲しいこと

Honey, I know, I know, I know times are changin'
It's time we all reach out 4 something new, that means U 2
U say U want a leader, but U can't seem 2 make up your mind
I think U better close it and let me guide U 2 the purple rain
ねえ分かっている、分かっている、分かっている、時が変わっているのだと
僕等皆が新しい何かへと手を伸ばす時 - そして君も
君はリーダーを求めているけれども、どうやら思いを決めかねている
それはもう終わりにしよう、僕が紫の雨へと導くから

後半のギターソロ等が終わる演奏の終盤で、キッドはウェンディに歩み寄り、頬にキスをします。オーディエンスの歓声の後、続いて演奏される「I Would Die 4 U」では父が入院する病院での回想シーンが挿入され、キッドは父と母の額にキスをします。キッドの思いは、音楽を通して皆に受け入れられます。

どちらが言ったのかは情報によって違っていてよく分からないのですが、バンドメンバーのウェンディあるいはリサは、後に「Purple Rain」の意味を次ように表現しています。

A new beginning. Purple, the sky at dawn; rain, the cleansing factor.
新しい始まり。紫、夜明けの空。雨、浄化の要素。

映画やアルバムの「Purple Rain」は、1983年8月3日にこの曲を初めてオーディエンス前で演奏したときのライブテイクが使われています。ただし、録音を担当したエンジニアもこれがそのような大事な演奏だというのは知らなかったそうです。映画は演技の問題でライブテイクに見えませんが、それはご愛嬌です。

実際のライブはこちらです。元は13分くらいの演奏です。色々と解説を入れてくれているのが嬉しいです。