いつ書こうかと思っていたのですが、勢いで書きました。前回からの続きです。

日本人の英語

実は今回のブログ記事のタイトルはマーク・ピーターセン著「日本人の英語」という本から引用したものです。この本は、英語と日本語の構成と論理の違いからくる日本人の冒しやすい間違いを、例を挙げながら吟味し、どのようにしたら「英語の頭脳環境」に入っていけるかを説明した本です。

ちなみに、この本は初版が1988年と古いのですが、これは私が今まで英語を勉強してきた中で最も素晴らしいと思った本です。英語には、言語として根本的に日本語とは異なる考え方をする部分が存在します。世の中に英語の教材は数あれど、日本人向けの英語学習書としてこれほど的確にこの論点を突いた本は、他には存在しないのではないかと思います。

この本では、著者が見てきた日本人の英語の誤りの中で、意思伝達上大きな障害をきたすと思われるものを大別し、重要な順に取り上げています。そして、この本で最初に取り上げている問題、つまり、著者が最も重大な障壁と考えるのは次の問題です。

冠詞と数。a、the、複数、単数などの意識の問題。ここに英語の論理の心があり・・・

まだまだ英語は全くダメだという人も、あるいはもう英語が結構できるようになったという人も、英語習得の最大の障壁として、真っ先にこれが頭に浮かぶ人はどれくらいいるでしょうか? もしこれが頭に浮かばなかったとしたら、その人はネイティブスピーカー並みの英語感覚を持っているか、これを重要な問題だと認識できていないかのどちらかです。もし後者に当てはまってしまったら、自分では英語ができると思っていても酷く奇妙な英語を話している可能性が高いです。後者に当てはまった場合は、まず冠詞を重要なものだと認識するところから始めなければいけません。日本人にとっては、根本的に異なるにもかかわらず問題の認識すら困難である、ということがまさに最大の障壁である理由なのです。

間違いの例 - その3

前回に続いてもうひとつ例を挙げます。以下はこの本からの引用です。

先日、アメリカに留学している日本人の友だちから手紙がきたが、その中に次の文章がいきなり出てきた。

Last night, I ate a chicken in the backyard.

これをみたときの気持は非常に複雑で、なかなか日本語では説明できないが、ちょうどあてはまる英語の決まり文句でいえば、I didn't know whether to laugh or cry (笑ったらいいのか泣いたらいいのか) という気持であった。

これは日本語の感覚では「昨夜、裏庭でバーベキューをしてチキンを食べたんでしょう?どこがおかしいの?」となり、何がおかしいのか想像しづらいと思います。実は、この例文は英語では次の意味になります。

昨夜、鶏を1羽 (捕まえて、そのまま) 裏庭で食べ (てしまっ) た。

夜がふけて暗くなってきた裏庭で、友だちが血と羽だらけの口元に微笑を浮かべながら、ふくらんだ腹を満足そうに撫でている -- このような生き生きとした情景が浮かんでくるのである

これは著者が意地悪して曲解しているのではありません。当たり前ですが、普通の英語のネイティブスピーカーは、この例文をぱっと見たときに「ああ、日本語には冠詞がないからこの a は英語としての意味を持たないのだな」などとは考えません。この例文を英語としてそのまま受け取れば、自然とこのような情景を思い浮かべてしまうのです。

それでも「バーベキューでチキンを食べたと言いたいのは明らかではないか。なぜそのように意味を捻じ曲げてしまうのか、どうにも腑に落ちない」という人もいると思うので、もう少し詳しく説明します。

ネイティブスピーカーにとって、「名詞に a をつける」という表現は無意味である

これもこの本からの引用になります。これ何を意味するか分かりますでしょうか。これを説明する前に、私たち日本人がどのように冠詞 a の使い分けを学ぶかをおさらいします。

<一般的な、日本人の冠詞と名詞の覚え方>
chicken はニワトリという意味を持つ名詞である。ニワトリは数えられるので、a chicken、two chickens というふうに言う。でもトリ肉を指してこの言葉を使う場合は数えられない名詞になり、a はつけずにただ chicken と言う。

私たち日本人は、このようにまず名詞を持ち出して、その後にそれに a をつけるかつけないかを考えます。しかし、英語のネイティブスピーカーはこのようには考えません。

ところが、これは非現実的で、とても誤解を招く言い方である。ネイティブスピーカーにとって、「名詞」に a をつける」という表現は無意味である。

英語で話すとき、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞でなく、a の有無である。もし「つける」で表現すれば、「a に名詞をつける」としかいいようがない。「名詞に a をつける」という考え方は、実際には英語の世界には存在しないからである。

そして、英文法の参考書に書かれてある典型的な冠詞の説明を引き合いにだして、次のように説明します。

この類の説明では、すでにあった、ちゃんとした意味をもった名詞に、a は、まるでアクセサリーのように「正しく」つけられるものであるかのように思われる。
しかし、本当は逆である。すでにあった、ちゃんとした意味をもっていたのは、a である。そして、名詞の意味は不定冠詞の a に「つけられた」ことによって決まってくる。

つまり、a というのは、その有無が一つの論理的プロセスの根幹となるものであって、名詞につくアクセサリーのようなものではないのである。

「この類の名詞には冠詞をつけない」または「つける」というふうに解説されている「冠詞用法」をみると、実に不思議な感じがする。

この感覚は日本語にはないものであるうえに、日本ではこのことをはっきり教わったことがある人もあまりいないのではないかと思います。この思考プロセスに気付くことができないでいると、たとえ表面上は流暢に話すことができるようになったとしても、いつまでたっても根底部分でどこか奇妙な英語を話すことになってしまいます。

英語学習を品詞から考えた場合、何となく名詞は意味をとりやすく、最も抵抗なく受け入れやすいのではないかと感じられます。他の品詞に目を向けると、例えば動詞はより複雑で、目的語をとるかとらないかなども一緒に覚えなくてはなりません。さらに学習の初期段階で覚える簡単な動詞は、実際は副詞 (up、down、out、off など) と組み合わされて無数の慣用表現を生み出すとんでもない化け物であることを後々知ることになります。ちなみに著者はこのように言っています。

私は、run と put と get くらいあれば、他の動詞をほとんど使わずに聖書の現代訳でもできるような気がする。

しかし、一見して学びやすいと思われる名詞は、実は「冠詞と数の問題」があるために、日本人にとって本当の意味での理解がとても難しいのです。

英語の名詞と日本語の名詞が概念的にきわめて不均衡な関係にあり、

著者はこのように英語の名詞と日本語の名詞を「概念的にきわめて不均衡な関係にある」と表現していますが、英語を勉強していると、私もこのことを強く感じます。

ネイティブスピーカーの話し方からみる英語の思考プロセス

英語でものを考えるときは、まず冠詞の有無で意味的カテゴリーを整えて、それから名詞を探すという思考プロセスを辿ります。対して、日本語頭脳のままで英語を話すと、このような2段階の思考プロセスを辿らずにいきなり名詞に飛びついてしまいます。

でも、それって本当なの?と疑わしく思えるかもしれません。実は、英語のネイティブスピーカーは、この思考プロセスがはっきりとみえる形で英語を話すことがあります。例えば chicken という単語が出てこなくて言葉に詰まったとしましょう。

まず、日本語頭脳の思考プロセスで話すとこうなります。

(トリ肉は chicken で、それは英語だと a がつかないから) chicken!

(鶏は chicken で、それが一匹だから) a chicken!

対して、英語のネイティブスピーカーの思考プロセスではこのように発声されます。

(数えられないモノ) uh...(数えられないモノ) uh... (そのモノの名前はトリ肉だ) chicken!

(一つのモノ) a (uh)... (一つのモノ) a (uh)... (そのモノの名前は鶏だ) a chicken!

(あの) the (uh)... (あの) the (uh)... (いま the で限定されるモノの名前は鶏だ) the chicken!

uh というのは、言葉に詰まったときに発する音で、口を半開きにして「アー」というような音になります。ちょっとかしこまった場で話すときの日本語の「えー」のように、意味を持たずに言葉に詰まったときに自然に出る音です。umm みたいに m で口を閉じることもあります。また、この場合の a は「ア」とは発音されずに「エーィ・・・エーィ・・・」と伸びた音になります。the は「ザ」ではなくて「ズィー・・・」みたいな感じです。