OneH

主にトレーニングとダイエットのブログ。それとプリンス。

トレーニングには、実は誤りだけれども根拠がないままに正しいものとして広まってしまった俗説が数多くあります。長年トレーニングをしている人ならば、普通に誤りだと知っているものも多いのですが、あまり指摘されることがないものもあります。そのような、あまり指摘されることのない誤りだけれども、個人的には気になるものに「ラットプルダウンで肩甲骨を寄せる」というのがあります。今回はこれについて書こうと思います。

スクワットで膝を出してはいけない教

あまりアクセス数の多くないこのブログですが、その中でそれなりにコンスタントにアクセスのある記事に「スクワットで膝を出してはいけない教」があります。これは2009年の記事なのですが、実を言うと、これを公開するにあたっては多少の思い切りが必要でした。

2015年の現在ではネットを検索すると「スクワットで膝を出してはいけない」という教えに疑問を呈する日本語のサイトもちらほらヒットするようですが、当時はこれを指摘するウェブサイトは日本語では見つけられませんでした。そのため、「誰も言っていないけど、これって言っていいことなのかなあ」という疑問がありましたし、それに、たかがブログに書くだけとはいえ、お金を取って人をモノを教えるトレーナーまでもが自信満々で指導していることに対してダメ出しするのは悪いなあという気持ちもあり、少々複雑な思いがありました。

そんな折、たまたま本屋で手に取ったトレーニング雑誌で、初めて日本語ではっきりとこのおかしさを指摘した記事を目にし、「ま、いっか」となってあのブログ記事を公開した次第です。

ちなみに当時は、日本のネットでは同様の指摘をする人が見つからないことばかりが気になって、英語圏ではどうだろうというのは調べた記憶があまりないのですが、今検索してみたらたくさんのサイトがヒットしました。例えば Google で「"squat" "knees over * toes" "myth"」とすると 107,000 件ヒットします (myth とは誤った俗説という意味です)。また、結構限定されたキーワードですが、期間指定をして2009年以前としても、一応結果が返ってきます。

ラットプルダウンで肩甲骨を寄せるという誤解

えーと、この記事の本題はスクワットではなく、タイトルにあるようにラットプルダウンの話です。当初はこれをネタに記事を書くつもりでしたが、広背筋を鍛えるために肩甲骨を寄せるのがなぜ間違いなのかを説明しようと思ったら思ったよりも長文になってしまい、とりあえず別の記事に分けて「背中のトレーニングの基本」を書いたのですが、そしたら今度はこの記事で説明することがなくなってしまいました。検索でこのページに飛んできた方は、そちらの方も読んでもらえたらと思います。

こちらに何も書かないのもアレなので一応簡単におさらいします。一般的なラットプルダウンのメインターゲットは広背筋ですが、肩甲骨を寄せるという動作は広背筋の役割ではありません。広背筋の停止(稼働しやすい方の付着点)が肩甲骨ではなく上腕骨であることを考えたら、広背筋を働かせるために肩甲骨を寄せるという発想のおかしさに気付くと思います。肩甲骨を寄せる動きを入れても本来は広背筋を鍛えるのに特に貢献はしませんし (*1)、他人のトレーニングを見ると、むしろ肩甲骨を寄せてしまっているせいで軌道が脱線して広背筋から逃げるような形になってしまっていることの方が多いように思います。

説明としてはこれだけなのですが、実際にこれを誤解している人がどれくらいいるのか興味があります。ひょっとしたらこれは「スクワットで膝を出してはいけない」以上に広まってしまっている誤解かもしれません。

私は以前、ゴールドジムに加えてある大手スポーツクラブの会員だったことがあったのですが、そのスポーツクラブが教えるラットプルダウンはビハインドネックで肩甲骨を寄せるフォームひとつのみでした。その結果、見るからに広背筋にフォーカスできていないと思われるフォームで微妙な反応をしながらラットプルダウンをする人達が量産されていました。

その一方で、これを誤っていると指摘する声はあまり大きくないようです。

例えば Google で「"pulldown" "shoulder blades together"」と検索すると、「pull/squeeze/pinch/bring/retract your shoulder blades together」というように、プルダウンと肩甲骨の寄せに言及するウェブサイトが数多くヒットしますが、どれもこれもラットプルダウンで肩甲骨を寄せることは重要だと説くものばかりで、それをおかしいと指摘するサイトは出てきません。本来、肩甲骨は広背筋を鍛えるにあたって注意するポイントではないので、良い情報源では、広背筋を鍛えるという文脈で肩甲骨という言葉は普通出てきません。このため検索するときにキーワードに肩甲骨と入れてしまうと、良い情報にはなかなか辿り着くことができません。

このような状況なので、「ラットプルダウンで広背筋を鍛えるために肩甲骨を寄せる」というのは、私にとってはある意味「スクワットで膝を出さない」よりも気になる誤解です。スクワットと膝のことは多くの人に誤りが認知されていると思われるのですが、ラットプルダウンと肩甲骨についてはどれくらいの人が誤りであると理解しているのか疑問に思います。

前回と今回は背中のトレーニングについて書きましたが、基本の説明や誤りの指摘だけの内容なので、これを実際のトレーニングにどう活かしたらいいのか分からないという方もいると思います。そんな方の参考に、基本を理解しつつ正しく背中のトレーニングをすると実際どのようになるのか、次回もうひとつ記事を書こうと思います。

追記: 次の記事です。


*1) わざわざ「本来は」と断りを入れたのは、記事を書くにあたってネットを検索したら、トレーニングを経験したことがない人を対象にした実験で、シーテドロウで肩甲骨を寄せると背中内側の活動が増えるだけなく(これは当然ですよね)、広背筋の活動も一緒に増えたという論文があったからです。被験者はラットプルダウンも行っていますが、ラットプルダウンでは肩甲骨を寄せる指導はされておらず比較データはありません。既に背中のトレーニングがきちんとできている人にとってはあまり参考にならなそうに思える論文ですが、一応リンクしておきます。
Lehman GJ et al. Variations in muscle activation levels during traditional latissimus dorsi weight training exercises: An experimental study. Dyn Med. 2004 Jun 30;3(1):4.

このエントリーをはてなブックマークに追加

このブログは一応ウエイトトレーニングを中心にしたフィットネスに関するトピックがメインですが、これまでトレーニングの具体的なやり方についてはあまり書いたことがありませんでした。以前Q&Aサイト等に投稿していた頃は、質問に対する回答という形で具体的なトレーニングの話をあれこれ書く機会がありましたが、ブログは勝手が違い、なかなかそういったことを書くには至りません。

しかし、ブログテーマ的に何かトレーニングの具体的な話を書きたいとは思うので、とりあえず何か書こうと思います。とはいえ何も取っ掛かりがないと書き出しづらいので、ちょっと仮想質問を投げかけてみることにします。

トレーニングをしていて、最もトレーニングのやり方が分からず難しいと感じる部位はどこですか?

おそらく「背中」と答える人が一番多いのではないかと思います。そこで今回は背中のトレーニングの基本についてまとめることにします。

なぜ背中のトレーニングは難しいのか

さて、なぜ背中のトレーニングはよく分からない、あるいは難しいと思う人が多いのでしょうか? トレーニングをしながら筋肉の動きを自分の目で見ることができないないからでしょうか?確かに背中は自分の目の届かないところにあります。しかし、結局のところトレーニングで大切なのは筋肉への刺激を感じ取ることができるかどうかなので、ターゲットの筋肉が見えるか見えないかは個人的にはあまり関係がないと思います。私は、多くの人にとって背中のトレーニングが難しいと感じられる一番の理由はこれだと思います。

正しい基本をはっきりと教えてくれないから

要するに、背中のトレーニングの説明は大事なところが曖昧にされてしまっていることがとても多いのです。しかも曖昧なだけならばマシな方で、結構な確率で説明がおかしかったりします。例えば、ラットプルダウンはなぜか「広背筋を適切に鍛えるためには肩甲骨を寄せることが重要である」と説明されることが多いのですが、これはおかしいです。肩甲骨を寄せるのは背中内側の筋肉が持つ機能であって、広背筋の機能ではありません。インストラクターにそう教わったからというだけの理由で肩甲骨の寄せが重要なものだと信じてしまうと、ラットプルダウンで本来のターゲットである広背筋を外した動作を一生懸命行うという残念な状況に陥ってしまいます。

一般的な背中のトレーニングの説明とその問題点

背中のトレーニングの説明では、背中という部位はしばしば厚みと広がりの2つの側面から語られます。

<一般的な背中のトレーニングの説明>
背中という部位は厚みと広がりの2つの側面を持ち、行う種目によってどちらにより強くインパクトを与えられるかが異なります。厚みを作るのはベントロウ、広がりを作るのはラットプルダウンやチニングが代表種目です。

しかし、私はこういった類の説明は誤解を与えやすく説明不足だと感じます。上記の説明には2つの問題点があります。

第一の問題点は、このように機械的に種目を分けてしまうと、あたかも各種目をインストラクション通りに行えばその効果に応じて自動的に厚みや広がりが付くかのような印象を与えかねないことです。これは考え方の順番が逆です。本来の考え方の順番としては、元々厚みを作る基本動作と広がりを作る基本動作がそれぞれあって、それを各種目にどのように適用するかという話であるべきです。実際はベントロウでも厚みを作る動作を組み入れないと厚みを作るための適切なトレーニングにはなりませんし、ラットプルダウンでも広がりを作る動作を組み入れないと広がりを作るための適切なトレーニングにはなりません。しかも悪いことに、各種目のインストラクションはしばしばこの大事な部分の説明が曖昧だったり間違っていたりします。

第二の問題点は、そもそもの話として背中が1つの部位でありながら厚みと広がりの2つの側面を持つということが一体どういうことなのか、はっきりと説明がなされていないことです。あくまで背中は1つの部位でしかなく、1つの部位で2つの側面を併せ持つものだと受け取ってしまうと、「私はボディビルダーみたいにはなりたくないから背中のトレーニングを細かく分けて考える必要はない」などと考える人が出てきてしまいます。「1つで両方の側面を併せ持つ」というのは誤解を生じやすい表現です。この部分は「厚みを構成する筋肉群と広がりを構成する筋肉群は別々に存在するものであり、両者は働きが異なるものである」と説明した方がより正確だと私は思います。このことにより、背中は大きく捉えると1つの部位ではあるのですが、トレーニングでは2つの動作を行う必要があります。これは細かい話ではなく基本知識の話なので、今回の記事でより詳しく説明します。

前提知識その1: 背中は外側と内側&上部で分けて考える

取り留めのない前置きはここまでですが、背中のトレーニングの具体的なやり方についてはもう少し待ってください。その前に前提知識を2つ説明します。

まず、背中の部位は1つに括ってしまわずに、外側と、内側&上部とで分けて考える必要があります。私は実際に背中のトレーニングをするときは具体的な筋肉名についてはあまり深く考えず、より大まかに部位を分けるだけに留めているのですが、一応代表的な筋肉名もいくつか添えました。

  • 外側 (Outer Back)
    代表的な筋肉には広背筋 (Lats, Latissimus Dorsi)、大円筋 (Teres Major) があります。背中の広がりといったら私はこの部分だと解釈します。
  • 内側&上部 (Mid Back & Upper Back)
    代表的な筋肉には中部・下部の僧帽筋 (Mid/Lower Traps, Trapezius)、菱形筋 (Rhomboids) があります。トレーニング動作は内側と上部で殆ど同じなので一緒にしました。背中の厚みといったら私はこの部分だと解釈します。

余談ですが、大円筋というのは日本語ではかなり頻繁に見聞きする単語のように思いますが英語では言葉としてはあまり出てきません。一方で、菱形筋というのは英語ではしばしば見聞きする単語なのですが、日本語ではあまり出てこないような気がします。そんなこんなもありますが、基本レベルの話では、個別にそれぞれの筋肉を考えずに、おおまかに外側と内側&上部のような分け方で個人的には十分と思います。

このように部位を分けて考えなければいけない理由はもちろんあります。それは同じ背中でも外側と内側&上部では筋肉を動員するための動作が異なるからです。詳細はそれぞれのやり方で後述します。

前提知識その2: 筋肉の働きについて

もう1つの前提知識は筋肉の働きについてです。

筋肉は両端が骨に付着しており、固定度が大きい方の付着点を起始 (Origin)、稼働しやすい方の付着点を停止 (Insertion) といいます。起始と停止の間には関節があり、両端の距離を縮めることにより物を動かしたりすることができます。トレーニングにおいて1つの筋肉ができることというのは、ただ1つ、収縮させて両端の付着点間の距離をコントロールすることだけです。

これだけではナンノコッチャと思うかもしれませんが、次の背中外側のところでもっと具体的に説明します。これは背中だけでなくトレーニング全般の前提知識として大事なことなので頭の片隅に入れておいてください。

背中外側のトレーニングのやり方

ようやく背中のトレーニングのやり方に辿り着きました。前提知識の1で説明したように、背中のトレーニングは外側と内側&上部で分けて考えます。まずは外側について説明します。

背中外側の筋肉の代表として、広背筋の図を Wikipedia と ExRx.net から引っ張ってきました。
wiki-latissimus-dorsi exrx-lat-1 exrx-lat-2

広背筋は、固定度が大きい方の付着点である起始は腰椎を中心に広範囲に広がっており、そこから伸びたもう一方の先端である停止は上腕骨の肩関節に近いところに付着しています。両端の付着点の間には肩関節があります。広背筋を収縮させると (すなわち上腕を動かして両端の距離を縮めると) テコの原理で物を動かすことができます。広背筋は、起立して脇を開いて肘を横に上げた状態ならば、肩と肘を下げて脇を締めるような動作で収縮できます。起立して脇を開かずに肘を前に上げた状態ならば、そこから肩と肘を下げながら引くような動作で収縮できます。

具体例として、ラットプルダウンで広背筋を動員する場合を考えます。既に説明したように広背筋の停止は上腕骨で、起始との間に肩関節があり、上腕を動かし広背筋を収縮させ両端の距離を縮めることでプルダウンバーを引き下げることができます。このとき、体は肩関節が支点 (Fulcrum)、広背筋の停止が力点 (Point of Effort)、グリップが作用点 (Point of Load/Resistance) となる第3種テコ (Class 3 Lever) として機能します (※)。

かえって意味が分からないという声も聞こえてきそうですが、それならば扇をイメージしてみてください。広背筋は扇のような形をしていますよね。広背筋のことを、肩や肘を下げることで停止が起始に近づき閉じることができる扇だとイメージしてトレーニングをしてみてください。

※ 第3種テコとは、以下の図のように力点が支点と作用点の間にあるテコです。
wiki-class-3-lever
oneh-lat-pulldown

背中内側&上部のトレーニングのやり方

背中の内側と上部の代表例として、僧帽筋と菱形筋の図を Wikipedia から引っ張ってきました。
wiki-trapezius wiki-rhomboid

この部位にある筋肉である中部・下部の僧帽筋や菱形筋は、大雑把にいって胸椎辺りを起始として伸びていき肩甲骨に停止となる付着点があります。これらの筋肉には肩甲骨を寄せる機能があります。ということで、背中のトレーニングで内側や上部を鍛えるには、肩甲骨を寄せればOKです。

この肩甲骨を寄せるという動作は特に難しいものではないと思いますが、あえて注意点を挙げると、負荷と動作の方向をなるべく合わせることです。負荷と動作の方向があっていない場合、例えばラットプルダウンで上体を立てたままでは、肩甲骨を一生懸命寄せても負荷の方向と動作の方向が食い違ってしまい、背中の内側にとっては空振りしたような状況になってしまいます。

このような背中内側&上部のトレーニングのやり方をはっきりと意識したことがなく初めて試す場合は、ぜひフルレンジのトップポジションまでしっかり引ききって、そこでポーズを入れてセットをやってみてください。トップポジションでポーズして耐えるためには普段よりも大幅に使用重量を落とすことになるかもしれませんが、誤魔化さずに行うと、セットの終了間際にはギブアップしたくなるくらい背中の内側が痛くなってくるはずです。

おわりに

今回、背中のトレーニングのやり方を部位を2つに分けて説明しましたが、この2つの動作は互いに排他ではないので、1つの種目で両方の動作を取り入れてトレーニングすることも可能です。例えば、ベントロウや上体をやや倒して角度を付けたラットプルダウンなどでは、両方の動作を取り入れることで外側と内側を一度に動員することが可能です。

これで私の考える背中のトレーニングの基本についての説明は終わりです。まとめると次の通りです。

  • 背中のトレーニングでは、部位を外側と内側&上部の2つに分けて考える必要があります。
  • 背中外側は、肩や肘を下げたり引いたりする動作で筋肉を動員することができます。背中の広がりといったらこの部分です。
  • 背中内側&上部は、肩甲骨を寄せる動作で筋肉を動員することができます。背中の厚みといったらこの部分です。
  • 背中の外側と背中の内側&上部では筋肉を動員するための動作が異なりますが、その動作は排他的なものではなく一度に両方行うこともできます。

今回の記事を通して読んでみて、背中の基本種目のコツになどについてもっと具体的な説明があるのかと期待してページを開いたのに、想像した内容と違って肩透かしを食らった人もいるかもしれません。私自身、文章を書き始めた時点ではこういう内容になるとは思っていませんでした。

とにかく、最後に今回の記事の意図について補足します。

筋肉を鍛える目的でトレーニングを行う場合、トレーニング種目というものは「基本の応用」であって「基本そのもの」ではありません。言い方を換えると、まず目的の筋肉を鍛えるために押さえるべき基本があって、それを具体的なエクササイズに応用したものがトレーニング種目です。トレーニング種目は応用であるために、必ずしも「ベントロウ=厚み」「ラットプルダウン=広がり」というように自動的に固定化した役割を持つものではありません。

背中のトレーニングに限らず、同じ種目でも様々なフォームが存在することに戸惑い、一体どれが正解なのかと悩む経験をしたことは誰もがあるのではないでしょうか。そんなときは、基本が何であるかを考えてみると悩みが解消します。同時にトレーニング種目は基本の応用であるために自由度があることも理解できます。つまるところ、基本を理解していなければどんなフォームでも正解とは言えませんし、基本を適切に応用したものであればどんなフォームでやろうがその人の自由です。

トレーニング種目を行うにあたっては、基本を理解しているかどうかがキーになります。トレーニング種目のやり方に自信がなくて悩んでいる人にとっては、今回書いた内容がきっと役に立つのではないかと思います。


追記: より実践的な内容について補完するため、次の記事を書きました。

このエントリーをはてなブックマークに追加

いつ書こうかと思っていたのですが、勢いで書きました。前回からの続きです。

日本人の英語

実は今回のブログ記事のタイトルはマーク・ピーターセン著「日本人の英語」という本から引用したものです。この本は、英語と日本語の構成と論理の違いからくる日本人の冒しやすい間違いを、例を挙げながら吟味し、どのようにしたら「英語の頭脳環境」に入っていけるかを説明した本です。

ちなみに、この本は初版が1988年と古いのですが、これは私が今まで英語を勉強してきた中で最も素晴らしいと思った本です。英語には、言語として根本的に日本語とは異なる考え方をする部分が存在します。世の中に英語の教材は数あれど、日本人向けの英語学習書としてこれほど的確にこの論点を突いた本は、他には存在しないのではないかと思います。

この本では、著者が見てきた日本人の英語の誤りの中で、意思伝達上大きな障害をきたすと思われるものを大別し、重要な順に取り上げています。そして、この本で最初に取り上げている問題、つまり、著者が最も重大な障壁と考えるのは次の問題です。

冠詞と数。a、the、複数、単数などの意識の問題。ここに英語の論理の心があり・・・

まだまだ英語は全くダメだという人も、あるいはもう英語が結構できるようになったという人も、英語習得の最大の障壁として、真っ先にこれが頭に浮かぶ人はどれくらいいるでしょうか? もしこれが頭に浮かばなかったとしたら、その人はネイティブスピーカー並みの英語感覚を持っているか、これを重要な問題だと認識できていないかのどちらかです。もし後者に当てはまってしまったら、自分では英語ができると思っていても酷く奇妙な英語を話している可能性が高いです。後者に当てはまった場合は、まず冠詞を重要なものだと認識するところから始めなければいけません。日本人にとっては、根本的に異なるにもかかわらず問題の認識すら困難である、ということがまさに最大の障壁である理由なのです。

間違いの例 - その3

前回に続いてもうひとつ例を挙げます。以下はこの本からの引用です。

先日、アメリカに留学している日本人の友だちから手紙がきたが、その中に次の文章がいきなり出てきた。

Last night, I ate a chicken in the backyard.

これをみたときの気持は非常に複雑で、なかなか日本語では説明できないが、ちょうどあてはまる英語の決まり文句でいえば、I didn't know whether to laugh or cry (笑ったらいいのか泣いたらいいのか) という気持であった。

これは日本語の感覚では「昨夜、裏庭でバーベキューをしてチキンを食べたんでしょう?どこがおかしいの?」となり、何がおかしいのか想像しづらいと思います。実は、この例文は英語では次の意味になります。

昨夜、鶏を1羽 (捕まえて、そのまま) 裏庭で食べ (てしまっ) た。

夜がふけて暗くなってきた裏庭で、友だちが血と羽だらけの口元に微笑を浮かべながら、ふくらんだ腹を満足そうに撫でている -- このような生き生きとした情景が浮かんでくるのである

これは著者が意地悪して曲解しているのではありません。当たり前ですが、普通の英語のネイティブスピーカーは、この例文をぱっと見たときに「ああ、日本語には冠詞がないからこの a は英語としての意味を持たないのだな」などとは考えません。この例文を英語としてそのまま受け取れば、自然とこのような情景を思い浮かべてしまうのです。

それでも「バーベキューでチキンを食べたと言いたいのは明らかではないか。なぜそのように意味を捻じ曲げてしまうのか、どうにも腑に落ちない」という人もいると思うので、もう少し詳しく説明します。

ネイティブスピーカーにとって、「名詞に a をつける」という表現は無意味である

これもこの本からの引用になります。これ何を意味するか分かりますでしょうか。これを説明する前に、私たち日本人がどのように冠詞 a の使い分けを学ぶかをおさらいします。

<一般的な、日本人の冠詞と名詞の覚え方>
chicken はニワトリという意味を持つ名詞である。ニワトリは数えられるので、a chicken、two chickens というふうに言う。でもトリ肉を指してこの言葉を使う場合は数えられない名詞になり、a はつけずにただ chicken と言う。

私たち日本人は、このようにまず名詞を持ち出して、その後にそれに a をつけるかつけないかを考えます。しかし、英語のネイティブスピーカーはこのようには考えません。

ところが、これは非現実的で、とても誤解を招く言い方である。ネイティブスピーカーにとって、「名詞」に a をつける」という表現は無意味である。

英語で話すとき、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞でなく、a の有無である。もし「つける」で表現すれば、「a に名詞をつける」としかいいようがない。「名詞に a をつける」という考え方は、実際には英語の世界には存在しないからである。

そして、英文法の参考書に書かれてある典型的な冠詞の説明を引き合いにだして、次のように説明します。

この類の説明では、すでにあった、ちゃんとした意味をもった名詞に、a は、まるでアクセサリーのように「正しく」つけられるものであるかのように思われる。
しかし、本当は逆である。すでにあった、ちゃんとした意味をもっていたのは、a である。そして、名詞の意味は不定冠詞の a に「つけられた」ことによって決まってくる。

つまり、a というのは、その有無が一つの論理的プロセスの根幹となるものであって、名詞につくアクセサリーのようなものではないのである。

「この類の名詞には冠詞をつけない」または「つける」というふうに解説されている「冠詞用法」をみると、実に不思議な感じがする。

この感覚は日本語にはないものであるうえに、日本ではこのことをはっきり教わったことがある人もあまりいないのではないかと思います。この思考プロセスに気付くことができないでいると、たとえ表面上は流暢に話すことができるようになったとしても、いつまでたっても根底部分でどこか奇妙な英語を話すことになってしまいます。

英語学習を品詞から考えた場合、何となく名詞は意味をとりやすく、最も抵抗なく受け入れやすいのではないかと感じられます。他の品詞に目を向けると、例えば動詞はより複雑で、目的語をとるかとらないかなども一緒に覚えなくてはなりません。さらに学習の初期段階で覚える簡単な動詞は、実際は副詞 (up、down、out、off など) と組み合わされて無数の慣用表現を生み出すとんでもない化け物であることを後々知ることになります。ちなみに著者はこのように言っています。

私は、run と put と get くらいあれば、他の動詞をほとんど使わずに聖書の現代訳でもできるような気がする。

しかし、一見して学びやすいと思われる名詞は、実は「冠詞と数の問題」があるために、日本人にとって本当の意味での理解がとても難しいのです。

英語の名詞と日本語の名詞が概念的にきわめて不均衡な関係にあり、

著者はこのように英語の名詞と日本語の名詞を「概念的にきわめて不均衡な関係にある」と表現していますが、英語を勉強していると、私もこのことを強く感じます。

ネイティブスピーカーの話し方からみる英語の思考プロセス

英語でものを考えるときは、まず冠詞の有無で意味的カテゴリーを整えて、それから名詞を探すという思考プロセスを辿ります。対して、日本語頭脳のままで英語を話すと、このような2段階の思考プロセスを辿らずにいきなり名詞に飛びついてしまいます。

でも、それって本当なの?と疑わしく思えるかもしれません。実は、英語のネイティブスピーカーは、この思考プロセスがはっきりとみえる形で英語を話すことがあります。例えば chicken という単語が出てこなくて言葉に詰まったとしましょう。

まず、日本語頭脳の思考プロセスで話すとこうなります。

(トリ肉は chicken で、それは英語だと a がつかないから) chicken!

(鶏は chicken で、それが一匹だから) a chicken!

対して、英語のネイティブスピーカーの思考プロセスではこのように発声されます。

(数えられないモノ) uh...(数えられないモノ) uh... (そのモノの名前はトリ肉だ) chicken!

(一つのモノ) a (uh)... (一つのモノ) a (uh)... (そのモノの名前は鶏だ) a chicken!

(あの) the (uh)... (あの) the (uh)... (いま the で限定されるモノの名前は鶏だ) the chicken!

uh というのは、言葉に詰まったときに発する音で、口を半開きにして「アー」というような音になります。ちょっとかしこまった場で話すときの日本語の「えー」のように、意味を持たずに言葉に詰まったときに自然に出る音です。umm みたいに m で口を閉じることもあります。また、この場合の a は「ア」とは発音されずに「エーィ・・・エーィ・・・」と伸びた音になります。the は「ザ」ではなくて「ズィー・・・」みたいな感じです。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ