OneH

主にトレーニングとダイエットのブログ。それとプリンス。

トレーニングを長く続けていると、新しい発見をして驚くということは少なくなってきます。もちろん新しく学ぶことはあるのですが、自分の考えを根底から引っくり返すようなサプライズに出会うとなると、そう滅多にあるものではありません。

今年、そんなサプライズがひとつありました。ブルガリアンスクワットというエクササイズについてです。

この種目、私は長い間好きではありませんでした。というかどんな種目であるかも知りませんでした。ブルガリアンスクワットは、ネットのQ&Aのやり取り等で、器具に制限があるホームトレーニーでもできる種目として紹介されたりするのですが、私は基本的に名前を見てどういう動作なのか類推できない種目は嫌いなので、調べる気がおきなかったのです。

でも、この種目が何であるか知らないままではネットでのコミュニケーションに支障がでるので、渋々ながら調べてみました。そして、ブルガリアンスクワットは、片脚ずつ動作するスプリットスクワットで、動作しない方の脚を後方に引いて、その足首をベンチに乗せて行うエクササイズだというのを知りました。そして、自分でもどんなものかやってみました。

その感想は、「なんだこれ?」です。

ベンチに乗せた足首が気になってまともにトレーニングができません。その後、ゴールドジムで流れている鈴木雅のビデオで、足首を横に寝かせる工夫をして高重量ダンベルでブルガリアンスクワットを行っているシーンを見て、なるほどと思ってその工夫を取り入れて改めて試してみましたが、それでも私にとっては足首が気になって気持ち良くトレーニングができませんでした。

結局、ブルガリアンスクワットとは、私にとってはどんな工夫をしても本質的にやりづらい種目であり、器具に制限がある人が仕方なく行うもので、普通にスクワットやレッグプレスができるなら敢えて行う価値のある種目ではない、という評価でした。

その評価が引っくり返ったのがこれです。


パワーラックのフックの高さを調節してバーベルを掛け、バーにスクワットパッドを装着し、それに動作しない方の足を引っ掛けます。丁度よい位置で同じように足を引っ掛けられるのであれば、もちろん他の道具を使用しても問題ありません。

これ、従来のブルガリアンスクワットとは感覚が全く違います。引っ掛ける方の足が気になりません。よく滑る滑車でケーブルエクササイズをするときのように、全く余計な邪魔が入らずダイレクトにターゲットを動員することができます。これならば下半身のトレーニングのレパートリーに入れて全く問題がありません。というか人に教えたくなるくらい気持ちが良いです。

この発想は私には出てきませんでした。私にとって、今年目からウロコが落ちたエクササイズをひとつ挙げるとすると、これです。

●参考リンク

The Bulgarian Split Squat Solution - Bret Contreras
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私が大学に入ってトレーニングを始めた1990年代後半頃は、インターネットが現在のようには普及しておらず、ボディビルやフィットネス雑誌は貴重な情報源でした。当時のボディビルチャンピオンは、97年のオリンピアを最後に引退した Dorian Yates でした。Dorian の登場によりプロボディビルは大型化の時代を迎えたわけですが、その中で一番のマスモンスターは誰か?と問われたら、それはこの人、Nasser El Sonbaty でした。

私にとって今まで特別にインパクトのあったプロビルダーはといえば、Dorian Yates、Ronnie Coleman、Kevin Levrone、Victor Martinez…と頭に浮かんできますが、Nasser もまた同じように真っ先に名前が思い浮かぶビルダーの一人です。トレーニングを始めて日が浅く、とにかく大きくなりたいという願望のあった当時の私にとって、雑誌で見る Nasser の巨大なフィジークは衝撃的なものでした。

その Nasser は、去る2013年3月20日に47歳でこの世から去りました。そのほんの数日後に IFBB 創設者の Joe Weider が死去したのは知っていたのですが、Nasser のことはしばらく経ってから知りました。この時代のビルダーなら有り得ることではあるのですが、引退後はボディビルから離れ悠々自適の生活を送っているというのを昔雑誌で読んだ記憶があったので、ショッキングなニュースでした。

…ということを書こうと思ってからもう1年以上経っていたのですが、先日普段行かない店舗のゴールドジムへ行ったら、給水器近くのマガジンラックにボディビル雑誌のバックナンバーがあって、Nasser 追悼の号が目に留まったので、やっぱり書こうかなと思って書くことにしました。

下のビデオは1997年のオリンピアのものです。Dorian がベストの状態でなかったこともあり、これを見る限りではこの年は Nasser が勝ってもおかしくなかったようにも見えます。
 

Nasser の死を知って、この人がどんな人だったのか調べてみようと思ったのですが、残念ながらネットにはあまり情報はありません。でも、追悼の記事を読むとユーモアがあって面白い発言が見つかります。そんな「Nassertions」の中から気に入ったのを2つ引用します。

96年のオリンピアで失格になったとき:
I gambled and lost. But I'm not going to cry about it. I can't -- the diuretics make that impossible.

僕はギャンブルに出たが負けてしまった。しかし泣くようなマネはしない。というか、できないんだ -- 利尿剤のせいで。


トレーニングパートナーについて:
I never believed in having the crutch of a permanent training partner to urge me on. When I was studying at the University of Augsburg there was no-one standing over me screaming, "Come on Nasser, one more book!"

僕は、自分を追い込むためにトレーニングパートナーを常用して支えてもらうというのに意義を感じたことはないんだ。僕がアウグスブルグ大学で勉強していたときも、誰かに側に立ってもらって「カモン、ナッサー、ワン モア ブック!」って叫んでもらうことはしなかったよ。


●参考リンク

Nasser El Sonbaty: He Did It His Way - Muscular Development
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せっかくなので、やっぱりついでに「Breaking Bad」のドラマの魅力についても書いておこうと思います。

とはいえ、「面白かった」よりも踏み込んで書こうとすると、どのようにしても何か重要なポイントを外してしまっているような気分になります。それに、これだけ世の中で絶賛されているドラマです。当然ながら良く練られた脚本と魅力的な登場人物、そしてキャストの素晴らしい演技があるのですが、それを平凡な人間が語るとせっかくの傑作を陳腐なものにしてしまいそうです。

それを承知で、敢えてひとつ「これは他の成功したドラマとは違う」と個人的に感じさせることを挙げるとすれば、それはこのドラマの醸し出す絶妙なリアルさに尽きると思います。

ドラマも映画も小説も、言ってしまえば作り物のファンタジーですから、どうしても最初は一歩引いたところから作品を眺めることになります。それで面白ければ続きを見るし、つまらなければもういいや、となります。およそ創作物とはそういうものです。ところがこのドラマには、単に面白いとかつまらないといった次元を超えたリアルさがあり、それが魅力のひとつになっています。

このドラマの主人公の Walter はというと、

  *  麻薬の密造は言うまでもなく
  *  無数の殺人に関わり
  *  自ら直接的に多くの人間を殺し
  *  麻薬密売で得た大金をロンダリングし
  *  警察への不正侵入と器物損壊を行い
  *  化学薬品を盗み
  *  違法に銃器を所有し
  *  パートナーの恋人が死ぬのを容易に助けられる立場にいながら黙って見殺し
  *  罪の無い子供を毒で重篤な状態にし
  *  街でたまたま会った気に入らない男性の車を炎上させ
  *  未成年の息子に酒を強要してそれを咎められるとキレだし
  *  スーパーを裸でうろついて通報され
  *  年下の美人な職場の教頭に手を出そうとし
  *  洗車場のパートタイムを辞めるのにオーナーに汚い捨て台詞を吐き
  *  ピザを自分の家の屋根に放り投げる

ような人間です。タイトルに使われている「break bad」という表現には「道を外す」といった意味がありますが、道を外すにもほどがあります。


しかし、それなのに、Walter には共感せずにはいられなくなります。この感覚がどこから来るのか考えてみるのですが、それが活躍するキャラクターやファンタジーへの憧れ、あるいは不幸への同情かというと、それは違うように思われます。

というか、実際に Walter は不幸なのですが、途中から同情する気持ちはなくなってきます。なぜ Walter に同情する気持ちが湧かなくなるのか、その理由は薄々見えてくるのですが、それは最終回に Walter 自らの口から、妻の Skyler にはっきりと打ち明けられます。命を吹き込まれた一人のリアルな人間の姿が強烈に心に響く、印象的なエンディングになります。

話は変わりますが、リアルさといえば、前のエントリーで紹介した「影武者徳川家康」は、本物の家康は関ヶ原で殺されてしまい、影武者が家康に成り代わるという、とんでもないプロットの小説です。もしこれを読もうと思ったら、まずはそのあまりにもファンタジーな設定にドン引きした状態で読み始めることになるのではないかと思います。少なくとも私はそうでした。

しかし、実際に読んでみると、そのような疑念は完全に打ち壊されます。この小説が素晴らしいのはプロットがファンタジーだからではありません。それどころか全く逆で、この小説の素晴らしさはむしろ圧倒的なリアルさにある、といっても良いほどです。

隆慶一郎の小説と出会う以前の私にとって、時代物に対するイメージといえば - 侍がチャンバラをして、忍者が出てきて、由美かおるが入浴をして、印籠や桜吹雪が出てきて、悪人は平伏し、市中引回しのうえ打首獄門 - というものでした。それはそれで結構なのですが、要するに、時代物とは様式美やヒーローの活躍を楽しむ娯楽でしかありませんでした。

このようなイメージのために、時代小説と聞いても「そんな退屈なものに興味はない」という人は多いのではないでしょうか。私の場合、隆慶一郎によりこの認識は見事に引っくり返されたのですが、氏の言葉で印象に残っているものがあります。それは「時代小説の愉しみ」というエッセイ集の、あとがきの一節です。

「どうして時代小説ばかり書くんですか?」
この頃よくそう問われる。
私の答はきまっている。
「死人の方が、生きてる人間よりも確かだからでしょうね」
皆、ちょっと変な顔をして笑うが、私は本当のところをいっているのだ。


どうにも真意を取りづらい表現ですが、なるほど、と思います。

私が「Breaking Bad」というドラマを知ったとき、まず頭に浮かんだのがこの一言で、私の頭の中で自然に結び付いてしまいました。なので隆慶一郎と結び付けたエントリーになっています。

Walter が麻薬を密造することを決意したとき、彼自身もその根底に何があるか分かっていませんでした。そして、その志が法に触れてしまうものであったことには複雑な気分になります。しかし、それは大した問題ではありません。その志が成就したのか、それともただ破滅に向かっていただけなのか、それすらもどうでもよいという気がします。彼が人生に志を定め、それに殉じた、その誇りを見ただけで十分と感じます。
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